みなさんこんにちはこんばんは。
ゆん散歩です。
今日はわたしが患ってる双極性障害についてです。

双極性障害とは、
精神疾患の中でも気分障害と分類されているものです。
うつ状態だけが起こる病気を「うつ病」といいますが、うつ状態とは対極の躁状態も現れ、これらを繰り返す慢性の病気です。
英語で言うと
bipolar disorder(バイポーラーディスオーダー)
というらしいです。

この病気は4年ほど前に発症し、診断に至りました。

その頃は急性期病院(循環器、呼吸器、内科一般)で主任として勤めていて、救急車の毎日・・・
新人さんから学生指導、できない師長に囲まれ、毎日毎日しんどかったのをおぼえています。

自分が教える立場になると、”そんな考え方もあるのか”と言う新たな発見に気づいたり、良くも悪くも影響があったりして😊
でも一方で師長は自分の意見を言わずまわりのお局看護師に左右される日々で、「なんだかなぁ」と思っていまた😥

主任は「できて当然」
 ”わからない”
 ”できない”
 ”つらい”
などのことは言えず、感情は抑えられていました。
師長は頼りにならなかったので、
スタッフのことはなるべく全員を管理できるように、
病棟の状態は全て把握しておくように、

一生懸命でした。

毎朝7時出勤、帰りは22時頃。
休みの日はほぼなく唯一の休みの日も仕事にことを考えていました

充実はしていたと言えば言葉が良いけれど、そのときから、わたしは心身共に崩れていったのです。

まずは”不眠”から。

身体は疲れているけど、なかなか寝付けない。
途中で起きる。

悪夢にうなされ、すっきり目覚めることができない。
目の下にクマをつけて出勤。

「体調大丈夫?寝れてる?」と心配してくれるスタッフはいなかった。
なので自覚はなかった。

次第に肩も腰も痛くなって自ら心療内科受診

心療内科と精神科で異なる点は専門分野です。
心療内科では心が身体に影響している心身症を主に対象としているのに対し、
精神科では統合失調やうつ病、双極性障害などの精神疾患が対象になります。
また精神科では発達障害や認知症なども含まれます。

心療内科ではまず、ロキソニンとトリアゾラムをもらいました。

ロキソニン=プロピオン酸系の消炎鎮痛剤。
トリアゾラム=ベンゾジアピン系の超短時間作用型睡眠導入剤。翌日への持ち込み効果が少ないのが特徴。

一旦はよく眠れるようになりました。

しかしわたしは”睡眠薬を飲んでいるのは異常”だという意識もあったんです。
睡眠薬を飲んでいるということはまわりには秘密にしていました。

変わらず忙しい毎日。
症状はよくなりませんでした。

とうとう、睡眠薬飲んでも眠れない状態に。
薬は増える一方。限界まで出してもらいました。

そして次第に涙が溢れてくるようになりました。

なにかあったわけじゃない、なにか失敗をしたわけでなかったはず。

テレビを見なくなりました。
ニュースでさえうるさく感じてしまって。

食欲はありました。
どちらかといえばわたしは過食気味、
でも、”食欲があるから健康である”と思い込んでいました。

職場ではストレスチェックというものがありました。
しなければいけなくて仕方なくパソコンで入力。
最後に出たのは「今すぐ病院に行ってください」の文字。

病院が紹介する専門の精神科へ受診することに。
次の日には休みをもらい、行くことに。

そのときは「眠れないくらいで病院受診だなんで大袈裟な」と思っていました。

病院に着くと、まずカウンセラーの方がついて、今までの症状などを詳しく聞かれました。

自然と涙が出ました

なんで涙が出たのかわかりません。
あれも辛かったな、これもしんどかったな、と思い出せば出すほど涙が溢れてしまったんです。
カウンセラーの方は、涙が出て当然のごとくティッシュを差し出し、「今まで大変でしたね」と一言。

心が救われる気がしました。

そのとき初めて
・オランザピン5mg
・ラミクタール25mg
・サインバルタ20mg
の精神科薬を処方されました。
どれも気分を安定させる薬でした。

調子が安定するまで仕事を休職することに。
このとき初めて「わたし異常なんだ」と自覚しました。

そして「休まなきゃいけなんだ」とも思いました。

スタッフのことはわたしのことどう思ってるだろう、「できない人」にレッテルを貼られるのではと被害妄想したり。

休んでる期間は、心休まらずいつもソワソワしていて「なにかしなくちゃ」という気持ちがありました。
3〜4週間経つと心なしか症状は軽くなり「なんでも出来る自分」に変化していきました。

数少ないお友達に頻繁にラインを。
時間帯気にせず電話を。
無理矢理スケジュールをパンパンにしていました。
1日に3人と会う約束をしたりと、無理をしていたんじゃないかと思います。

これは双極性障害の典型的な躁状態。

そのころ、もう病院受診しなくていいんじゃないかと思っていまいした。
でも、予約は取っていたので律儀に受診。
その度に
「もうよくなりました。もう大丈夫です」と言っていましたが、主治医はまだ「様子を見ましょう」と。
その頃から「東京に行きたい」と思うようになりました。

たくさんの人と絡みたい、人と会話したい、困った人がいれば手を差し伸べたい
そんな気持ちでした。

しかしそんな夢は叶わず、1年が通りすぎました。
それまで薬の増減を繰り返し、継続することに。
1年ほど職場から離れてみて、今思えばあっという間でした。
やっと患者のことが頭から離れ、「休む」ということを実行できたのかと思います。

気持ちがラクになりました。

ハイテンションを繰り返しながらも「東京に行きたい」と言う
気持ちは変わらず、病院受診の際主治医に
「あした東京へ行きます!!」となんの計画もなしに言ってしまいました。
主治医は、「だいぶ元気になりましたね。初めの頃はいつ自殺するんじゃないかと思っていました。」

自殺なんてするわけないじゃん、思いつつ、周りからみるとそこまで追い詰められているのが目に見えたようです。

翌日、さっそく東京へ。

わたしにはキャリアがある。
いつでもどこでも働ける、といった自信がありました。

マンションや職場を探す毎日。

しかし双極性障害は一生付き合わなければならない病気。
病院へかかりたくなかったけど、紹介状をもち東京の精神科へ。
「もうわたし、薬飲まなくていいくらい元気なんですけど」
そう思っていたけれど言わなかった。

医学的知識がなければ、勝手に行くことやめて調子を崩し、また1からのスタート、あるいはマイナスからのスタートになりかねない。

主治医から一言「かなり精神科薬飲んでるね。出せる薬は全部出しますから、ちゃんと通ってくださいね」
そんなこと言われなくても、と思ったが、自己判断する人も多いんだろうなぁと思いました。

職場はすぐに決まりました。
でも、「双極性障害」いうのを隠して。
働ける自信があったから。新しい職場でも上手くやれると思ったから。

しかしそれは甘い考えでした。

新しい環境、住宅、職場、慣れない人混み・・・・

慣れないことばかりですぐにストレスは溜まりました。
ハイテンションは短い期間でくり返えされ、安定せず体はついていけませんでした。

死にたいと思ったことはあるのですが、
自殺の自覚はなく自然と踏み切りの前に立ちすくんでいたり
住んでいるところよりもはるかに高い高層マンションの最上階まで行き下を見下ろしたり
長い紐を持ってどこかに吊るせないかと考えたり

異常でした。
異常な感覚はありました。

きちんと主治医に報告。
新たに
・レキソタン錠1
・炭酸リチウム200mg
・ラモトリギン錠100mg
・レキサプロ錠10mg
・エビリファイ錠12mg

が追加になりました。
辛くて、少しでも気分を軽くしたくて、「もっとハイになる薬を出してください」と言ってました。
でも、自分ではどうしようもなくて、薬と主治医に頼るしかありませんでした。

その後はハイテンションが続き、見知らぬ人とセックスしたり、相変わらず予定をぎっちり組み込んだり、それでも楽しかったんです。

そのときは誰でもいい、かまってくれるならどんな人でも受け入れたいわたしという存在を認めて欲しいという気持ちありました。

でも、もう限界でした。
わたしは働けない、なにもしたくない。
早く死にたい
誰かわたしを殺して・・・・・

ハイテンションの反動、鬱状態になりました。
主治医に泣きながら報告
入院しましょうか」と。
「薬も調節したいので。守られた環境でゆっくり過ごしてください」
と言われました。
次の日、都内の大きな大学病院へ。
精神科での入院は初めて。

閉鎖病棟での入院でした。
荷物チェックをされるのはわかっていたが、それも念入りに
女性看護師がわたしの身体隅々までチェック
持ち物全てを没収、わたしは携帯だけ持つことを許されました。

同じ病室には床に這いつくばっているおばさんが1人・・・・
看護師さん、助けてーーーーーーーーー!!!」と叫んでいました。
看護師はスルー
こんな人と同室なのかと思ったらゾッとしました。

ここにはシャンプーなど置いてなくて、売店で購入。
すぐに退院する予定が、およそ2ヶ月ほど入院するなんてこのときは思いもよらなかったのです。
その間、Twitterのお友達がお見舞いに来てくれました。
みんな決まって「どこが悪いの?」と不思議なように話していました。
わたしも、自分でどこが悪いんだろうと思っていました。

入院生活では、決まった時間に起きて、決まった時間にナースステーション前に並んで服薬し、それ以外は病棟内を歩く日々でした。
そのときヒルナミン=フェノチアジン系の抗精神病薬。をもらっていたためよく眠れていました。

食事はうなぎやケーキなど結構豪華でおいしくいただいてました。(基礎疾患ないし)

そして食堂では落ち着いた表情のおばさんが。
おばさん「こんにちは。」
わたし「こんにちは。」
おばさん「この病棟は初めて?」

よく話をしてくれました。この方は鬱で入院されたそうで、

おばさん「自分では自覚なかったんだけど・・・・」
と。
やっぱり自覚ないものなんだなと思いました。

わたし「わたしは双極性障害で入院しました。」
なんだが素直に言えました。
知らない人だから言えたのかもしれません。
元職場の人には言いにくかったかも。

お友達ができたようで嬉しかったのを覚えています。

このとき、お金も底つきそうになり、生活保護申請。
思いもよらなかった。わたしが生活保護を受けるなんて。
負い目がありました。
普通」とは違う、受け入れ難い現実がそこにはありました。
精神科病棟では精神科カンファレンスというものがありまして、
患者5〜6人、看護師2人、医師1人、精神保健福祉士1人、作業療法士1人
などが集まって「今の生活に困っていること」について話合う機会がありました。
そこにわたしも参加。

みんないろんな悩みがありました。
「日中することがなくて暇」
「夜眠れない」
「好きな食事が出ない」
などなど。

わたしも発表しました。
同室のおばさんが床に這いつくばって叫んでいると。

解決することはなかったけれど、もう一度看護師や医師に周知できたのではないかと考えました。

そんなカンファレンスも月に3回ほどあって、うつ病で仲良くなったお友達も少しは経過が良くなっているようで安心しました。

薬剤調整してもらい、
・アリピプラゾール6mg
・アリピプラゾール12mg
・レボトミン5mgまで減量。

調子は良くなり、無事退院し、いつもの生活へ。
作業所を探しました。
就労移行支援A型、B型というところで就職からの定着をサポートしてくれる場所。

双極性障害のみならず、どんな疾患もそうだし、普通の人でもハイテンションの時もあればうつの時もあります。
偏見な目で見ないで、暖かい目で見て
身体疾患と同じように困ったひとがいれば手を差し伸べてほしいと思います。

もし、おかしいと思うことがあればすぐに受診してください。
自身すら気付かないまま悪化し、わたしのように最悪の事態になる前に。
一刻も早く苦しみから脱し、日常を取り戻すのに先生と薬の力を借りることは恥ずべきことではないと思います。
未だ死が頭をよぎることはあります。
それでも、辛いことより楽しいことが増えてきて、あの時、先生に救いを求めてよかったな、と思えるようになりました。
人生悪いこともばかりじゃない。今なお苦しむ人々に少しでもこの気持ちが届いて欲しいなと思います。
長い文章読んでくれてありがとうございました。

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